展 示
■2024年度 Spring |
歌枕 生田の森
当キャンパスのある「須磨」は古くから歌枕として有名です。
神戸にはその他にも歌枕がいくつもあり、多く歌に詠まれてきました。
その中から、今回は「生田の森」を選び、当館所蔵資料より歌を集めました。
約800年~900年前に詠まれた歌を中心に展示しています。
ぜひ、当時の神戸の姿を想像しながら、それぞれの歌の世界を味わってみてください。
|
◆枕草子
清少納言の枕草子(能因本)には、「森は」の項に「いくたの森」と挙げられています。
〇春曙抄 ; 6〈刊本〉
季吟 [著] -- 上坂勘兵衛, 享保14 [1729] [刊].
資料番号:21935947 / 請求記号:914.3||Ki||6 / 所在:貴重
展示資料の『春曙抄』は、北村季吟による、枕草子の注釈書です。1674年(延宝2)成立。
枕草子は平安中期、1000年(長保2)頃成立した随筆です。
◆和歌集
「生田の森」は、秋の歌に詠まれることが多く、「秋風・紅葉・時雨・ほととぎす・衣打つ」などの語とともによく詠まれます。また、「生田」に「生く」「行く」がかけられることも多いです。
〇後拾遺和歌集 ; 第11-20〈刊本〉
[藤原通俊撰] -- [出版者不明], [江戸後期].
資料番号:21914836 / 請求記号:911.135/Fu/11-20 / 所在:貴重
1086年(応徳3)成立の第4番目の勅撰和歌集です。
「生田の森」は、勅撰集ではこの歌が初出です。
心をば いくたのもりに かくれども こひしきにこそ しぬべかりけれ よみ人しらず(恋三)
〇詞花和歌集〈影印複製〉
[藤原顕輔撰] 傳爲氏筆.-- 天理大学出版部, 1984.
-- (天理圖書館善本叢書 ; 和書之部
第69巻).
資料番号:30224766 / 請求記号:081||2||1-69 / 所在:3階R4
1151年(仁平元)頃に撰し奏覧した、第6番目の勅撰和歌集です。
この歌で生田の森の秋風への注目がされ、以降秋が詠まれやすくなりました。この歌を本歌とする歌は数多く詠まれています。
君すまば とはまし物を つのくにの いくたのもりの あきのはつかぜ 僧都清胤(秋)
〇新古今和歌集 ; 巻第1-5〈刊本〉
源通具 [ほか撰] -- 西村又左衛門, [江戸年間].
資料番号:21883286 / 請求記号:911.135||Mi||1-5 / 所在:貴重
第8番目の勅撰和歌集です。1205年(元久2年)に成立しましたが、その後も改訂(切り継ぎ)が行われました。
昨日だに とはむと思ひし 津の国の 生田の杜に 秋はきにけり 藤原家隆朝臣(秋歌上)
〇左大将家百首歌合 ; 戀[1]〈刊本〉
[藤原良経等詠] ; [藤原俊成判] -- 河内屋卯助 [ほか],
[1---].
資料番号:21883415 / 請求記号:911.18|| Fu||3 / 所在:貴重
1193年(建久4)秋、左大将藤原良経の主催で行なわれた歌合。六百番歌合とも言います。
いざさらば 生田の森に 祈みむ 頼かたなき 恋のやまひを 兼宗朝臣(恋二)
〇古今和歌六帖 ; 第2〈刊本〉
-- 吉田四郎右衛門, 寛文9 [1669].
資料番号:21884108 / 請求記号:911.137||Ko||2 / 所在:貴重
平安中期の類題和歌集。編者・成立年ともに未詳です。
妹が家に 生田の森の 藤の花 今こん春も かくこそは見め
〇散木奇歌集 : 阿波本 ; 本文・校異篇〈翻刻〉
源俊頼[撰] ; 関根慶子, 大井洋子共著-- 風間書房,
1979.
資料番号:30221420 / 請求記号:911.138||18 / 所在:3階P3
平安後期の歌人源俊頼の自撰家集。
しなばやと 思ひあかしの 浦を出て いく田の森を よそにこそ見れ 源俊頼(悲歎部)
◆名所案内・旅行記に見る「生田の森」
「生田の森」は生田神社の境内の背後の森を指し、今も小さくなって残っています。かつては広く大きい森で、神戸の海上からも眺められるほどでした。
〇攝津名所圖會 ; 矢田部郡[上]〈刊本〉
秋里籬嶌著述 ; 竹原春朝齋圖畫.
--河内屋喜兵衛 [ほか], [1---].
資料番号:20911010 / 請求記号:291||41||8-1 / 所在:貴重
江戸時代における代表的な摂津の地誌、旅行案内です。1796年(寛政8)と1798年(寛政10)の二年に分って出版されました。「生田の杜」として和歌が紹介されているページを展示しています。
〇播磨名所巡覧圖會 ; 巻之1
秦石田彙輯 ; 藍江中直[画]. -- [河内屋太助], 享和3[1803]跋
資料番号:30866669 / 請求記号:291.64||Ha||1 / 所在:貴重
主として播磨南部、特に西国街道沿いに焦点を当てた名所案内です。名所には必ず古歌を引用しているのが特徴で、「生田の社」のページには後拾遺和歌集の「心をば
いくたのもりに かくれども…」の歌が書かれています。
〇九州道の記 / 玄旨[著]
羣書類從〈複製〉
[塙] 保己一集 ; 巻第338 ; 紀行部12-- 温故學會, 1984.
資料番号:20786069 / 請求記号:081||13||338 / 所在:1階W2閉架
『九州道の記』は1587年(天正15)、細川幽齋が豊臣秀吉の島津征伐に随行した時の紀行です。展示資料は、『九州道の記』が収められている『群書類従』です。
九州からの帰途、和田の岬より生田の森を見て詠まれたのが下記の歌です。
こぐ舟の 夕波あらく 成にけり さぞな生田の 杜の秋風 細川幽斎
◆戦のあった生田の森
生田の森は、一ノ谷の戦いや足利、新田軍の合戦のあった場所でもあります。
〇生田杜大合戦之図
一猛齋芳虎画. -- 恵比壽屋庄七,
[18--].
木版色刷
資料番号:30834149 / 請求記号:721.8||Ik / 所在:事務室・カウンター
一猛齋芳虎(歌川芳虎)による錦絵で、一ノ谷の戦いにおける生田の森の戦いを描いています。歌川芳虎は江戸後期-明治時代の浮世絵師で、歌川国芳の門人です。
|