タイトル 資料ID 請求記号 配置場所
『子規居士と余』高濱虚子,河東碧梧桐集 / 山本健吉編. -- 筑摩書房, 1983. -- (明治文学全集 ; 56). 20690113 918.6/1-56 3階N2
正岡子規.--新潮社, 1986(7刷1991). -- (新潮日本文学アルバム ; 21). 30195455 910.8/39/21 3階P4
『月見草』子規全集 第13巻 / 正岡子規著. -- 第13巻. -- 講談社, 1976. 21304040 918.68/75/13 3階N4
西須磨の年輪 : 創立百二十年史 西須磨小学校百周年記念誌 / 西須磨小学校百周年記念事業実行委員会編. -- 西須磨小学校百周年記念事業実行委員会, 1992. 21383199 376.2/46 2階資料室
須磨浦病院創立100年 / 鶴崎範太郎, 鶴崎隆一著. -- 須磨浦病院, 1989. 21374012 498.16/4 2階資料室
参考文献
 日清戦争の従軍記者である子規が日本へ帰る船の中で喀血を起こし、神戸で治療後、須磨に療養した。須磨保養院は、よく混同されるのだが、日本で最初といわれるサナトリウムの須磨浦療病院とは別のもので、隣同士に建っており、須磨浦療病院からの往診を受けていたと『須磨浦病院創立100年 / 鶴崎範太郎, 鶴崎隆一著. -- 須磨浦病院, 1989.』にある。須磨保養院は料理旅館で、後に須磨花壇と名前が変わった。
 子規の療養生活は、虚子の随筆『子規居士と余』や、子規が後年小説にした『月見草』でみることができる。
 二十歳の女性を設定する際に、子規の須磨での俳句に目を通していたら、仲居という言葉が見つかった。文字を教えるというところに着目して、彼女の年齢から就学率を見てみると、案の定その当時、多井畑小学校に女子は二人しか小学校に入学していない。

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