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律令国家の展開 / [坂上康俊ほか執筆] ; 歴史学研究会, 日本史研究会編. -- 東京大学出版会, 2004.6. -- (日本 史講座 / 歴史学研究会, 日本史研究会編 ; 第2巻). 30626492 210.1/Ni/2 3階N15
律令国家と天平文化 / 佐藤信編. -- 吉川弘文館, 2002.9. -- (日本の時代史 / 石上英一 [ほか] 企画編集委員 ; 4).   30631779 210.1/Ni/4 3階N15
平城京と木簡の世紀 / 渡辺晃宏著. -- 講談社, 2001. -- (日本の歴史 ; 04). 30703322 210.1/Ni/4 3階N15
倭国誕生 / 白石太一郎編. -- 吉川弘文館, 2002.6. -- (日本の時代史 / 石上英一 [ほか] 30631755 210.1/Ni/1 3階N15
律令国家と万葉びと / 鐘江宏之著. -- 小学館, 2008. -- (日本の歴史 : 全集 ; 3). 30751972 210.1||Ni||3 3階N15
地方の豪族と古代の官人 : 考古学が解く古代社会の権力構造 / 田中広明著. -- 柏書房, 2003. -- (KASHIWA学術ライブラリー ; 01). 30716919 210.3/Ta 3階N15
万葉集の服飾文化 / 小川安朗著. -- 上 .下-- 六興出版,1986. -- (ロッコウブックス) 30631168
30631172
383.1/Og/1
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参考文献
 須磨の関の場所は不明である。畿内と畿外を隔てる所は、須磨の鉢伏山が海に突き出し、「明石の櫛淵」と呼ばれるとおり通行の難所であった。そのため道は迂回して須磨の千守川に沿って北上して須磨寺前を通り、離宮公園の前から多井畑を回って南下して塩屋に至っていたらしい。そのため関所跡は関守稲荷神社とも多井畑厄神辺りとも言われている。西須磨地方は土地が痩せていたとあるので、豪族がいたとすれば多井畑厄神あたりが妥当かも。
 この当時の名前は、班田収授のために作られた戸籍によって見ることができる。戸籍は「令」によれば30年の保管と決められていたそうだが、当時の紙は大変貴重であったため、他の官司や官寺などに回されて、裏面を再利用するのが一般的であった。そのため東大寺紙背文書に、下総国・筑前国・出雲国の戸籍から、孔王部(あなほべ)卜部(うらべ) 物部(もののべ)などを拾い上げることができた。
 男の名は○○麻呂が多く、女は最後に女(め)・売(め)がつくこと多い。そこで八部(やたべ)郡を頂いて万葉仮名風にアレンジ。
 設定は740年ごろ。 公地公民が徐々にうまくいかなくなり、私有地が拡大し始めた頃。墾田永年私財法(743年)も出て、荘園の時代が始まるときの豪族の妻の様子。関守などの地方の役職は、その土地の豪族が務めたようだ。

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